2008年8月30日 (土)

大人の英語学習~失敗の原因

大人で英語の勉強に挑戦したものの、挫折する人が多いですね。その根本原因は何でしょうか?それは、学生時代に比べて頭がよくなっていない、もしくは退化しているためです。

中学・高校時代に英語が苦手で全然できなかった人が、高校を卒業して10年後に、英語を勉強し始めたとします。もし、この人の脳の性能が中学・高校時代と全く変わらないとしたら、中学・高校時代につまづいたところで今回もつまづきますから、途中で挫折する可能性が高いといえます。

一方、高校卒業後の10年間で、脳の性能が向上した人の場合は、「昔わからなかったことが今ならわかる」ようになっていますので、英語の再学習に成功する可能性が高いでしょう。

英語に限らず、勉強はすべて「脳」の問題なのです。学生時代にできなかったことが今はできるというのは、脳の性能が向上したおかげなのです。

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2008年8月29日 (金)

勉強の目的

夏休みも終わり、世の親御さんの中にはお子さんの夏休みの宿題を手伝った方も多いでしょう。ところで、お子さんから「なんで勉強しなければならないの?」と聞かれたら、どう答えますか?

私の答えは簡単です。「脳の性能を良くするためだよ」と答えればいいのです。

人生には様々な難題があります。これに対処するには、性能の優れた脳を持っていなければなりません。悪い脳でいくら考えても、ろくな解決策は出てきません。「下手な考え休むに似たり」とは、まさにこのことです。15年前のパソコンと今のパソコンを比べると、今のパソコンの方がより多くのことに対処できますね。脳も同じです。

では、脳の性能をよくするには、どんな勉強をすればよいのでしょうか?その中心は、「言語能力」「数学」「単純暗記」の3つです。

言語能力を高めるには、優れた文章を繰り返し読む、よくわかる文章を書く練習をする、外国語の勉強をするのが大切です。「古文や漢文をやっても、使う必要がないのだから無駄じゃありませんか?」という質問をする者がいますが、これは愚かな質問といえます。古文・漢文は、一種の外国語であり、外国語を日本語に訳すのは、言語力を鍛えるトレーニングになりますから、古文・漢文の学習を通じて言語能力が向上し、ひいては脳の性能が向上するのです。(教師が黒板に書いた現代語訳をただ写すなどといった作業は、全く役に立ちませんが)

次に数学ですが、数学ほど論理的思考力を高めてくれるものはありませんから、小学生のうちから頭をたくさん使う良問をたくさん解くべきです。日本では、数学ができる=理系、数学ができない=文系 という不毛な二分法がいまだにあるようですが、数学は万人に等しく重要なものです。私は、学校教育における「社会科」を全廃し、空いた時間を数学にあてることを提案しています。その理由は、社会科をやっても頭がよくなりませんが、数学をやれば頭が確実によくなるからです。

脳の性能をよくする勉強の3つ目は、単純暗記です。あれこれ屁理屈を言わずにひたすら覚えるのは、なかなか苦しいものですが、このように脳に適度な負荷をかけることで頭がよくなります。中年のオッサン、オバハンが、「最近は物忘れがひどくて」とぼやくのを耳にすることがあるでしょうが、彼らはおそらく学校を出てからというもの、暗記トレーニングを一切やっていないのだと思われます。トレーニングしなければ力が衰えるのは自明の理であります。年齢に関わりなく、暗記勉強を継続すべきです。

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2008年8月17日 (日)

<大学受験>英語学習者へのアドバイス

[1] 英語学習の目標

①どのような英文でも、辞書を少し使いさえすれば、自分の力だけで意味を100%理解できるようになること。
②基本的な英文を活用して、自分の考えを正確に伝える英文が書けるようになること。

[2] 自らに挫折を許すな

人が語学を習得できないのは、途中で学習をやめるからである。やる気が続かない人は、どうすれば学習を継続できるのかを工夫しなければならない。一番いい方法は、スタートダッシュをかけ、それを1年間、1回の例外も認めずに持続することだ。一度でも自分に甘えてしまうと、二度三度とそれを繰り返してしまうのが人間の弱さだ。

[3] 「作業時間」を減らし、「頭を使う時間」を増やす

勉強を始める前にあれこれ探し物をしたり、コピーすればいいものを書き写したり、やたら細かく切り貼りをしたり...こういった作業は、脳の性能をUPさせるのに役立たない無駄な時間である。「頭を使って考える」時間を1分でも多くとるように心がけよう。

[4] 「自分で学ぶこと」で力がつく

外国語ができる人に共通する点は、自学の精神である。彼らは、教師にあれこれ教えてもらったおかげで語学を身につけたのではない。(教師の力を借りながらも)自分で考え、自分で暗記をし、自分で練習をしたから外国語を身につけることができたのである。「教師」に依存してはいけない。教師とは、便利な「道具」の一つに過ぎない。教師を上手に利用しよう。

[5] 「計画」なきところに「達成」なし!

「いつまでに何をやる」という計画を立てずに仕事をしても単なる時間つぶしである。意味のある仕事をするには、具体的な計画を立てることが不可欠である。「達成感」は、計画を実行してはじめて味わえるものだ。各週に何をやるか、教材の章やページの数を書いた計画表を作ろう。

[6] 外国語を学ぶときに大切な態度

①わがままを一切言わず、文法や単語を全てそのまま受け入れることが大切である。読解では、自分の意見など一切考えず、筆者の考えを理解することに全力を尽くすことが大切である。

② 我々は「評論家」ではなく、「実務家」「実践家」にならなければいけない。

[7] どうすれば英文が読めるようになるのか

① まず、簡単な例文をきちんと理解し、例文ごと覚える。

② 複雑な英文が出てきたときには、①で覚えた例文の中から、同じパターンのものを思い出し、同じように理解していく。

[8] 復習のやり方 

① 本文を通して読み、「スラスラと意味が頭に浮かぶか」をチェックする。

② スラスラと意味が浮かばなかった箇所は、授業プリントやテキスト解説を再読し、ノートないしはカードに抜書きしてまとめる。

③ 上記②が終わったら、それらを繰り返し暗記する。

[9] 単語の覚え方

① 読解プリントを「単語暗記プリント」に改造する。

② 単語集で単語を覚えるのもよいが、英文読解のテキストに出てきた単語を全て覚えていくことはさらに重要である。

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2008年8月 7日 (木)

「赤と黒」の誤訳をめぐって(6)

本屋で、新潮文庫の100冊のブックレットをもらい、見てみました。私が学生の頃に比べると、古典・海外作品が減り、現代文学がとても多くなっているのに驚きました。スタンダール「赤と黒」は1989年を最後に、100冊に入っていないようです。古典に代わって、唯川恵・重松清・湯本香樹実・石田衣良など、今の日本の作家がたくさん入っていますが、こんなの読む価値があるんでしょうか?学校が教師にメシを食わせるための場であるように、文学は今生きている作家に収入を与えるための手段になってしまったようです。

それはさておき、今日も下川教授が指摘された箇所の一つを紹介します。今晩必ずレーナル夫人の手を握ると決心したジュリヤンが、十時の鐘の音が鳴ると同時に計画を遂行しようとする場面です。(第1部第9章)

文章は、上から順に、①原文 ②PENGUIN CLASSICSシリーズの英訳 “The Red and the Black” ③新潮文庫「赤と黒(上)」(小林正 訳)④光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第2刷 2008.2.8 発行> ⑤光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第3刷2008.3.15 発行> です。

Après un dernier moment d’attente et d’anxiété, pendant lequel l’excès de l’émotion mettait Julien comme hors de lui, dix heures sonnèrent à l’horloge qui était au-dessus de sa tête.  Chaque coup de cette cloche fatale retentissait dans sa poitrine, et y causait comme un mouvement physique.

Enfin, comme le dernier coup de dix heures retentissait encore, il étendit la main, et prit celle de madame de Rênal, qui la retira aussitôt. (以下略)

After a final period of tension and worrry, during which Julien became almost beside himself with his excess of feeling, ten struck on the clock above his head.  Each stroke of this fatal clock echoed in his breast, and produced there an almost physical reaction.

At last, as the final stroke of ten was still reverberating, he extended his hand and took that of Mme de Rênal who withdrew it immediately. (以下略)

ぎりぎりの期待と不安のひとときが過ぎる。その間、ジュリヤンは興奮のあまり我を忘れてしまった。いよいよ真上の大時計が十時を打ち始めた。運命を決する鐘の音が、鳴るたびに、彼の胸に響きわたり、いわばつきさすような衝動を起こした。

ついに、最後の鐘が十時を打ち終わろうとする前に、ジュリヤンはつと手を伸ばして、レーナル夫人の手を握った。夫人はすぐに手をひっこめた。(以下略)

不安な気持ちで機会をうかがいながら、ジュリヤンが心の昂ぶりをおさえかねていたとき、頭上の大時計が十時を告げ始めた。運命の鐘の音がひとつひとつ胸に鳴り響き、体を突き動かした。彼は手を伸ばし、彼は手を伸ばし、レナール夫人の手を取ったが、夫人はすぐ手を引っこめた。ジュリヤンは自分が何をしているのかわからないまま、もう一度手をつかんだ。(以下略)

不安な気持ちで機会をうかがいながら、ジュリヤンが心の昂ぶりをおさえかねていたとき、頭上の大時計が十時を告げ始めた。運命の鐘の音がひとつひとつ胸に鳴り響き、体を突き動かした。

とうとう、十時の最後の鐘がまだ鳴り響いているうちに、彼は手を伸ばし、レナール夫人の手を取ったが、夫人はすぐ手を引っこめた。ジュリヤンは自分が何をしているのかわからないまま、もう一度手をつかんだ。(以下略)

④<第2刷>の訳は、原文のEnfin, comme le dernier coup de dix heures retentissait encoreを無視してそのまま後につなげた訳になっています。この「訳し忘れ」によって原文の素晴らしさが大きく損なわれてしまいました。10時の時計の鐘は10回鳴ります。そのいよいよ最後、10回目の鐘の音が終わるときになってジュリヤンはようやく夫人の手を握ることができたという緊迫感が失われてしまったのです。これでは、スタンダール先生に申し訳が立ちません。

⑤<第3刷>では、「とうとう、十時の最後の鐘がまだ鳴り響いているうちににおいては、」という部分が付け加えられました。やれやれ一安心。

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2008年7月30日 (水)

「赤と黒」の誤訳をめぐって(5)

今日も、下川教授が指摘された誤訳箇所の中から一つとりあげて検討してみましょう。第2部第11章の終わりの部分で、登場する「私」は、ヒロインのマチルドです。

文章は、上から順に、①原文 ②PENGUIN CLASSICSシリーズの英訳 “The Red and the Black” ③新潮文庫「赤と黒(下)」(小林正 訳) ④光文社古典新訳文庫「赤と黒(下)」(野崎歓 訳)<第1刷 2007.12.20 発行> ⑤光文社古典新訳文庫「赤と黒(下)」(野崎歓 訳)<第3刷2008.3.15 発行> です。

J’aurais une signature de contrat comme celle de la cadette de mes cousines, où les grands-parens s’attendriraient si pourtant ils n’avaient pas d’humeur à cause d’une dernière condition introduite la veille dans le contrat par le notaire de la partie adverse.

I’d have a celebration at the signature of my marriage contract just like that of my young cousins where all the heads of the families would shed a tender tear if, that is, they had not been put out of sorts by a final condition introduced into the contract by the opposing lawyer the night before.

あたしも、一番年下の従妹と同じように、結婚契約書に署名することになるだろう。親戚の年寄り連中は、涙を流して喜んでくれるにちがいない。もっとも、前の日に、先方の公証人が契約書に付け加えた最後の条件で気を悪くしていないときの話だけれど。

一番年下の従妹と同じように、私も結婚誓約書に署名すれば、年取った親戚たちはさぞや喜んでくれるだろう。ただしこちらが前日になって、契約書に条項を書き加えたせいで、先方の公証人が腹を立てていなければの話だけれど。

一番年下の従妹と同じように、私も結婚誓約書に署名すれば、年取った親戚たちはさぞや喜んでくれるだろう。先方の公証人が前日になって、条項を書き加えたりしたせいで、年寄りの親戚が機嫌を損ねていなければの話だけれど。

原文を前から読んでみましょう。

J’aurais une signature de contrat (私が誓約書に署名すれば)

comme celle de la cadette de mes cousines, (私の従妹たちの中で一番年下の従妹のように)

où les grands-parens s’attendriraient (その場合、年を取った親戚たちは感動するだろう)

si pourtant ils n’avaient pas d’humeur (ただし、もし彼らが不機嫌にならなければ)

à cause d’une dernière condition (最後の条件のせいで)

introduite la veille (前日につけ加えられた)

dans le contrat (誓約書に)

par le notaire de la partie adverse.(先方の公証人によって)

上の4行目にあるilsは、英語のtheyにあたる代名詞で、この場合は、直前のles grands-parens(年を取った親戚たち)を指しています。

ここで④の訳を見ると、「先方の公証人が腹を立てていなければの話だけれど」となっており、ilsが「公証人」を指しています。最後の行に出てくる「公証人」le notaireは単数形ですから、ilsが指すことはあり得ません。つまり、この箇所は、「名詞の単数・複数や代名詞を理解していない人物」によって訳されたのです。フランス語の学識豊かな野崎氏が訳したとは到底考えられません。

可能性の一つとしてあり得るのは、この部分を訳した人間が、日本語の既訳を読み、しかも誤読して訳したのではないかということです。③の新潮文庫訳を見ましょう。「先方の公証人が契約書に付け加えた最後の条件で気を悪くしていないときの話だけれど」と書いてありますが、この文の「先方の公証人が」は「付け加えた」につながりますね。煩雑を恐れずに書けば、「先方の公証人が契約書に付け加えた最後の条件で、(親戚の年寄りたちが)気を悪くしていないときの話だけれど」となります。

しかし、日本語をよく読めない人間がこの箇所を読むと、「先方の公証人が」を「気を悪くしていない」につなげて読むかもしれません。こう考えると、④の誤訳の原因が説明できますね。

なお、この誤訳も、⑤<第3刷>では、正しく訂正されています。

人を使って訳させる場合、基礎学力のある人間にやらせないと、とんだ二度手間、三度手間になってしまいますね。

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「赤と黒」の誤訳をめぐって(4)

今回、「赤と黒」の誤訳箇所を検討してみて、何事も自分の目でよく見て自分の力で判断することの大切さを痛感しました。日本人は、「世間で評判だ」というだけの理由でものを買ったりしがちですが、自分の選択眼を持たなければなりません。東京大学の准教授ですら、このような杜撰な仕事をすることがあるのです。ですから、読者の皆さんも、大学名とか肩書きにだまされることなく、いいものか悪いものかを自分で考える習慣をつけていただきたいと思います。ミーハーは知性から最も程遠い態度であります。

今日採りあげる箇所は、ひとつのパラグラフがそっくり抜け落ちている箇所(第2部第5章)です。

文章は、上から順に、①原文 ②

PENGUIN CLASSICSシリーズの英訳 “The Red and the Black” ③新潮文庫「赤と黒(下)」(小林正 訳) ④光文社古典新訳文庫「赤と黒(下)」(野崎歓 訳)<第1刷 2007.12.20 発行> ⑤光文社古典新訳文庫「赤と黒(下)」(野崎歓 訳)<第3刷2008.3.15 発行> です。

Peut-être était-il un peu plus claivoyant que les premiers jours, ou bien le premier enchantement produit par l’urbanité parisinene était passé.

Dès qu’il cessait de travailler, il était en proie à un ennui mortel; c’est l’effet desséchant de la politesse admirable, mais si mesurée, si parfaitement graduée suivant les positions, qui distingue la haute société. Un cœur un peu sensible voit l’artifice.

Sans doute, on peut reprocher à la province un ton commun ou peu poli. Mais on se passionne un peu en vous répondant. (以下略)

Perhaps he was a little more perceptive than he had been in the first few days or, rather, perhaps the first enchantment with Parisian urbanity had faded.

From the moment he finished his work each day he became prey to a deadly boredom, such was the dessicating effect of that courtesy which characterizes high society admirable in itself, but so regulated, so closely graduated according to one’s standing.  Any even slightly sensitive heart can perceive its artifice.

Undoubtedly the provinces can be accused of commonness of tone and lack of polish, but at least people there show some warmth in their responses. (以下略)

おそらく、最初のころより、多少はものの見通しがつくようになっていたかもしれない。というよりは、洗練された都会趣味に対する陶酔から冷めたといえよう。

 仕事がすむと、たちまちやりきれないほど退屈になる。上流社会特有の、まことにりっぱな、だがあまりにも節度のありすぎる、地位に従ってあまりに区別のはっきりしすぎている作法が、感覚をすりへらしてしまうからである。多少とも感じやすい心には、わざとらしさが鼻につく。

 むろん、田舎の、卑俗で、洗練されない調子は、非難されもしようが、田舎では、返事をするにも、もうすこし熱がこもっている。(以下略)

おそらく彼にも、最初のころよりは多少、物事が見えてきたのだろうか。あるいは、最初パリという都会に感じた魅力が失せてしまったのかもしれない。

なるほど、田舎の粗野で下品な調子をとがめることはできるだろう。とはいえ、田舎では返事一つにも少しは熱がこもっている。(以下略)

おそらく彼にも、最初のころよりは多少、物事が見えてきたのだろうか。あるいは、最初パリという都会に感じた魅力が失せてしまったのかもしれない。

なるほど、田舎の粗野で下品な調子をとがめることはできるだろう。とはいえ、田舎では返事一つにも少しは熱がこもっている。(以下略)

見てお分かりのように、④<第1刷>の訳は、問題の箇所は、原文のDès で始まる段落を、そっくり訳し忘れています。これは⑤<第3刷>でも修正されていません。

このような誤りは、原文と対照チェックをすればすぐにわかるものです。今回の翻訳は、かなり短期間のうちに締め切りに追われながら行われたのではないでしょうか。時間をかけてチェックしたとは思われません。やっつけ仕事もいいところです。下川教授の指摘によると、訳し忘れの箇所は他にも数箇所あります。詳しくは、スタンダール研究会にアクセスし、下川教授の書評をご覧ください。

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2008年7月20日 (日)

「赤と黒」の誤訳をめぐって(3)

「赤と黒」の誤訳問題に関するブログをいろいろ読んでみましたが、その中に「翻訳にはいろいろな訳し方があるのだからそんなに騒ぐ必要はない」という趣旨の意見がありました。しかし、光文社古典新訳文庫「赤と黒」に見られる誤訳の中には、いろいろな訳し方の一つと言えるものではなく、明らかな誤訳があります。(本ブログの前回、前々回の記事を参照)これについては弁護のしようがありません。明らかな誤訳であればこそ、訳者は、第3刷で訂正されたのでしょう。

それでは今日も、下川教授が指摘された誤訳箇所の中から一つとりあげて検討してみましょう。第2部第45章で大詰めに近いところ、死刑囚となったジュリヤンが親友のフーケと話すシーンです。

文章は、上から順に、①原文 ②PENGUIN CLASSICSシリーズの英訳 “The Red and the Black” ③新潮文庫「赤と黒(下)」(小林正 訳) ④光文社古典新訳文庫「赤と黒(下)」(野崎歓 訳)<第1刷 2007.12.20 発行> ⑤光文社古典新訳文庫「赤と黒(下)」(野崎歓 訳)<第3刷2008.3.15 発行> です。(下巻については手持ちの本が、第2刷ではなく第1刷です)

Julien s’acquitta avec décence de tout ce qu’on doit à l’opiniom, en province.  Grâce à M.l’abbé de Frilair, et malgré le mauvais choix de son confesseur, Julien était dans son cachot le protégé de la congrégation; avec plus d’esprit de conduite, il eût pu s’échapper.

Julien now decorously discharged all duties that are due to public opinion in the provinces.  Thanks to M.l’abbé de Frilair, and in spite of this unfortunate choice of a confessor, in his cell Julien was under the protection of the Congregation; if he had acted with a little more enterrprise he might even have contrived to escape.

ジュリヤンは、他方では世間の手前欠かすことができないいろいろな義理を型どおりすませた。告解師の選び方がまずかったにもかかわらず、フリレール神父のはからいで、地下牢の中でも修道会の庇護を受けられるようになった。もう少しうまく立ち回ったら、逃げ出せたかもしれない。

ジュリヤンは田舎の世論の求める事項を何もかもきちんと片付けた。告解師の選び方はまずかったとはいえ、フリレール神父のおかげで、地下牢内に修道会の手は及ばずにすんだ。隙を見て行動に移るだけの姿勢があったなら、逃げ出せたかもしれない。

ジュリヤンは田舎の世論の求める事項を何もかもきちんと片付けた。告解師の選び方はまずかったとはいえ、フリレール神父のおかげで、地下牢内に修道会の手は及ばずにすんだ。隙を見て行動に移るだけの姿勢があったなら、逃げ出せたかもしれない。

問題の箇所は、原文のJulien était dans son cachot le protégé de la congrégationです。ここを文字通り訳すと「ジュリヤンは、地下牢の中で、修道会が守っている人だった」つまり、「修道会によって守られていた」ということです。英訳では、in his cell Julien was under the protection of the Congregation 「地下牢の中で、ジュリヤンは、修道会の保護の下にあった」となっていますね。

一方、④の訳は、「地下牢内に修道会の手は及ばずにすんだ」となっていて、これでは意味が正反対です。この誤訳の原因は、前置詞deの意味の取り違いにあります。le protégé de la congrégationは「修道会が保護する人」の意味であり、deは誰保護するのかを示します。(英文法で言えば、「主格」を示すofです)一方、④の訳をした人は、このdeをfromの意味にとったと思われます。

この箇所については、⑤を見てわかるとおり、第3刷の時点で訂正されていません。今後の第4刷以降を期待しましょう。

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2008年7月18日 (金)

「赤と黒」の誤訳をめぐって(2)

16日に書いた「赤と黒」誤訳をめぐってという記事は、意外に多くのアクセスをいただいたようです。そこで、今日は、下川教授が指摘された別の箇所を検証してみることにしましょう。採りあげるのは、「赤と黒」第1部第7章からです。ジュリアンが、お金のことについて、レーナル夫人に怒りに燃えた目で言い返した直後の場面です。

文章は、上から順に、①原文 ②PENGUIN CLASSICSシリーズの英訳 “The Red and the Black” ③新潮文庫「赤と黒(上)」(小林正 訳) ④光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第2刷 2008.2.8 発行> ⑤光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第3刷2008.3.15 発行> です。

À la suite de cette sortie, madame de Rênal était restée pâle et tremblante, et la promenade se termina sans que ni l’un ni l’autre pût troiver un prétexte pour renouer le dialogue.  L’amour pour madame de Rênal devint de plus en plus impossible dans le cœur orgueilleux de Julien; quant à elle, elle le respecta, elle l’admira, elle en avait été grondée.

At the end of this ourburst Mme de Rênal was pale and trembling, and the walk came to an end with neither one nor the other able to find a pretext for renewing the conversation.  A love for Mme de Rênal became more and more impossible in Julien’s proud heart; as for her, she respected him, she admired him; she had been rebuked.

これほどまでにまくしたてられたので、レーナル夫人は血の気を失い、ふるえ出していた。どちらからも話のきっかけが見つからないうちに、散歩は済んでしまった。レーナル夫人に対して愛情をいだくことは、自尊心の強いジュリヤンには、ますます不可能になった。夫人のほうはジュリヤンに敬意をはらい、また感心もした。なにしろ、ジュリヤンから叱られたのだ。

そんな言葉を浴びせられて、レナール夫人は蒼くなってふるえていた。二人とも言葉の接ぎ穂を失ったまま、散歩は終わった。自尊心の強いジュリヤンにとって、レナール夫人を愛するのはいよいよ無理なことになった。夫人はジュリヤンを尊敬し、賛美していたが、叱りつけられてしまった。

そんな言葉を浴びせられて、レナール夫人は蒼くなってふるえていた。二人とも言葉の接ぎ穂を失ったまま、散歩は終わった。自尊心の強いジュリヤンにとって、レナール夫人を愛するのはいよいよ無理なことになった。夫人はジュリヤンに叱りつけられたせいでいっそう、彼を賛美し尊敬した。

問題の箇所は、原文のquant à elle, elle le respecta, elle l’admira, elle en avait été grondée の部分です。動詞の時制をみると、respecta(尊敬した), admira(感心した) の二つは、いずれも「単純過去」です。一方、avait été grondée(叱られた)の部分は「大過去」です。要するに、レーナル夫人は「尊敬した・感心した」よりも前に、「叱られていた」のです。

④の訳文<野崎訳 第2刷>では、「尊敬した・感心した」後に「叱られた」ことになっていますね。これは基礎文法がわかっていない誤訳です。⑤<第3刷>では、正しく直されています。

前回の記事にも書きましたが、気鋭のフランス語学者である野崎氏が「大過去」を無視した訳をするはずがありません。やはりこの箇所も、最初に訳したのは野崎氏ではなく、フランス語の基礎学力に欠ける人間といわざるを得ません。

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2008年7月16日 (水)

「赤と黒」の誤訳をめぐって(1)

しばらく前から、スタンダールの「赤と黒」を読んでいます。まずフランス語の原文を読み、それを辞書を使ってノートに英訳し、それをPENGUIN CLASSICSシリーズの英訳本と対照して答えあわせをし、最後に新潮文庫の日本語訳を読むという、おそろしく時間がかかる方法で読んでいます。しかし、これだけの作品を、一凡夫である私がぞんざいに読むなどということは、とうてい許されることではありません。私にできることは、スタンダールが残した濃密な文章を一つ一つ理解させていただくことだけです。

この小説を読むと、やれ芥川賞だ~、やれ直木賞だ~などと言っている今の作家の小説など読む必要が全くないことがよくわかります。今の作家諸君は絶滅して大いにけっこう、その代わり「赤と黒」を何度も熟読するほうがよほど人生の糧になるというものです。スタンダールは、心理描写の密度が圧倒的に濃いのです。登場人物の心理がAからBに変化するとき、その間の過程が10段階あるとすると、その10段階全てを克明に書いているのです。しかし、今の作家の本を読んでも、せいぜい2~3の段階しか書いていません。全てを書きつくす筆力がないのです。

それはさておき、昨年出版された、光文社古典新訳文庫「赤と黒」に多くの誤訳があることを知りました。立命館大学の下川茂教授が、訳者の野崎歓氏を痛烈に批判されています。下川教授は、スタンダール研究会の会報(http://www.geocities.jp/info_sjes/ )で、誤訳箇所について詳しく指摘しておられます。いったい、どんな誤訳なのか、私が気になった箇所を一つ引用してみます。

次に載せるのは、「赤と黒」第1部第15章の真ん中あたりのシーンで、主人公のジュリヤンが夜中の2時にレーナル夫人の部屋を訪れようとしているところです。彼は、決心はしたものの、体が震えたりしています。そこに、夫であるレーナル氏の部屋から大きないびきが聞こえてきたので、今ならレーナル氏に気づかれることなく夫人の部屋に入ることができると思うのです。

文章は、上から順に、①原文 ②PENGUIN CLASSICSシリーズの英訳 “The Red and the Black” ③新潮文庫「赤と黒(上)」(小林正 訳) ④光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第2刷 2008.2.8 発行> ⑤光文社古典新訳文庫「赤と黒(上)」(野崎歓 訳)<第3刷2008.3.15 発行> となっています。

Il était sans souliers.  Il alla écouter à la porte de M. de Rênal, don’t il put distinguer le ronflement.  Il en fut désolé.  Il n’y avait donc plus de prétexte pour ne pas aller chez elle.  Mais grand Dieu, qu’y ferait-il?  Il n’avait aucun projet, et grand il en aurait eu, il se sentait tellement troublé qu’il eût été hors d’état de les suivre.

He had no shoes on.  He went to listen at M. de Rênal’s door, through which he could distinguish snoring.  He was distraught.  So there was no further excuse for not going to her.  But, good God!  what was he going to do?  He had no plan, and even if he had had one, he felt so upset that he was in no fit state to carry it out.

靴ははいていなかった。レーナル氏の部屋の戸口まで行って耳をすますと、はっきり鼾が聞こえる。彼はがっかりした。もう女の部屋に行かないですます口実はないわけだ。だが、弱った、どうしたものだろう。どうしようという計画は立ててない。立てたにしても、こんなにあわてていては、実行できなかったろう。

靴は履いていなかった。レナール夫人の寝室の扉で耳を澄ますと、寝息が聞き分けられた。がっかりだった。これでもう、寝室に入らずにすます口実がない。だがいったい、寝室で何をしようというのか?何のあてもなかったし、あてがあったところで、こんなにどぎまぎしているのではとても実行に移せなかっただろう。

靴は履いていなかった。レナール氏の寝室の扉で耳を澄ますと、いびきが聞こえた。がっかりだった。これでもう、寝室に入らずにすます口実がない。だがいったい、寝室で何をしようというのか?何のあてもなかったし、あてがあったところで、こんなにどぎまぎしているのではとても実行に移せなかっただろう。

*小林訳では「レーナル氏」野崎訳では「レナール氏」となっています

④の訳文を見ておかしなことに気づきます。レナール氏の寝室が、レナール夫人の寝室になっていますね。原文は、la porte de M. de Rênal (英訳はM. de Rênal’s door)ですが、このM. というのは、男性につけるMonsieur (ムッシュかまやつ でおなじみですね)の略号なのです。(ちなみに、女性につけるMadame の略号は、記号Mme. です) また、④の訳文では、「いびき」が「寝息」になっています。これについて下川教授は、訳者がM. de Rênal を「レナール夫人」と間違えたうえ、夫人がいびきをかくのはまずいだろうと思って「いびき」を「寝息」としたのだろうとおっしゃっています。下川教授によれば、誤訳箇所を指摘した文書の一部を訳者が入手し、第3刷で書き直したのだろうとのことです。確かに⑤の訳文<第3刷>では、レナール氏がいびきをかいたことに訂正されていますね。

ここで不思議に思うのは、「赤と黒」を読んだ人なら、ここで旦那のいびきと夫人の寝息を間違えて訳すわけがないということです。何しろこのシーンは、全読者が固唾を飲んでジュリヤンを見つめるであろうシーンです。読み終わった後も強い印象が残るシーンなのです。野崎歓氏は、東京大学の准教授で、お若いときから「赤と黒」を愛読してこられた方です。野崎氏が、M.とMme. を間違えるなどとは、とうてい考えられません。

とすれば、いささか推理小説めいてきますが、この箇所を最初に訳したのは野崎氏ではなく、「赤と黒」をそれまで読んだことがなくフランス語の学力も怪しい人間だということになります。「赤と黒」はボリュームのある本ですから、その一部を学生さんに訳させたのかもしれません。もちろん、出版社と野崎氏がそんなことを認めるはずがありませんから、私の推理は永遠に推理のままでありましょう。しかし、繰り返しになりますが、この誤訳は、フランス語が少しでもわかる人間なら、そして、「赤と黒」を新潮文庫版でもいいので熟読した人間なら絶対にあり得ない間違いなのです。野崎氏が訳したとは到底考えられません。

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2008年7月 3日 (木)

バラ色の人生

ふと思うのですが、日本でシャンソンというと、どうもオカマちゃんの唄...という偏見を持っている人がいるようです。美輪明宏、おすぎとピーコ(のどちらか忘れた...)のような人がシャンソンを歌うからでしょうね。そうしたイメージのためか、シャンソン=難しい という印象を持つ方もいるようです。しかし、シャンソンはごくふつうの歌です。気持ちを飾らずにそのまま表現するのがシャンソンなのです。

Quand il me prend dans ses bras,
Qu'il me parle tout bas,
Je vois la vie en rose

彼が私を腕の中に抱いて
そっと私にささやくとき
私は人生がばら色に見えるの

作詞、そして歌ったのは、エディット・ピアフです。私はピアフの歌を聞いて、美空ひばりがそれほどたいした歌手ではないとわかりました。

Il me dit des mots d'amour,
Des mots de tous les jours,
Et ça me fait quelque chose.

彼が私に愛の言葉を言うと
毎日の言葉だけど
私の心を揺さぶるの

女性にかける言葉に無駄な修飾は不要です。毎日お花に水をあげるように、優しい言葉をかけてあげるようにしましょう。

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