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2008年6月21日 (土)

学会と科学

今日も雑談ネタで失礼します。

このところ梅雨の大雨が続いていますが、大雨といえば思い出すことがあります。

1982年、長崎地方で集中豪雨があり莫大な被害が出たときのことです。知り合いのあるオッサンが次のようなことを言いました。「長崎は邪教の土地だから、こんなことになる」このオッサンは、創価学会員で、池田先生大好き人間でした。長崎はキリスト教に縁が深い土地だから、被害が出るのもしかたないと考えたのでしょう。自分たちの信じるもののみが正しく、他はどうなってもいいという独善的な排他意識丸出しで、当時高校生だった私は、「こんなこと言うから創価学会員は嫌われるんだな」と思ったものでした。

創価学会の話だけするのは不公平なので、別の話もしましょう。ある塾の講師をしていたとき、生徒さんの母親で大川先生大好き人間がいました。いわく、日本の教育について正しい答を出してくださるのは大川先生だけなのだそうで、塾に来られたときには、幸福の科学の雑誌を置いていかれました。(苦笑) このお母さんについて、たいへん印象に残っているのは、目がキラキラっとしていたことです。世の中の邪悪なるものからは一切無縁です~というように、キラキラと瞳を輝かせているのです。その、地下鉄車内で、妙に目がキラキラしている二人連れを見かけました。私は「もしや~?」と思ってみていたのですが、案の定、二人はカバンから大川先生の御著書を出して語りはじめました。

このような人間離れした目のキラキラは、おそらく「自分でものを考えなくていい」という開放感からもたらされているように思われます。自分の人生をどう生きるかについては、大川先生が全部答えを出してくださるのですから、こんなにありがたいことはありません。大川先生の本を読まずに人生に失敗した人間を見たら、「なんでこの御本を読まなかったのかな。アホな奴やな」と思うことでしょうね。

私は自分の人生上の問題は全て自分で決めるという立場ですので、ここで紹介した学会のオジサンや、科学のお母さんのような方を見ると、「自分の人生を人に簡単に明け渡していいんかいな?」と思うのですが、彼らから見ると私のような人間はわからずやの大ばか者ということになりましょう。

English self Taughtのホームページもごらんください! http://www.englishselftaught.com/

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2008年6月19日 (木)

感情移入

久しぶりの投稿です。ブログ・ホームページの作成は、飽きてしまうとやらないものですから、前の更新から3か月程たってしまいました。今のところ、まだ「アタック25」出演の連絡はありません。

先月、ふとしたことから、川端康成「山の音」と、Seidensticker氏による英訳 The Sound of the Mountain を読みました。もともと、英訳を中心に読むつもりで、まず英訳をある程度読み、その後に原作を読んでいきました。ところが、途中から、川端文学の世界にどっぷりとハマってしまい、原作を先に最後まで読んでしまいました。

その翌日、私は家人から、とてもひどいことを言われたと抗議され、びっくりしました。全く覚えがなかったからです。どうやら私は、その日の朝、無意識のうちに、変な発言をしたらしいのです。改めて考えてみると、私は、「山の音」の主人公である61歳の男に、脳を占拠されてしまったようでした。この男、なんとも言えぬ暗さを持った人間なのです。私の発言も、この男の発言と考えれば納得できるものです。

私は数年前から、小説を読むときに、己を無にして読むようになりました。読みながら、自分の感想のようなものを心に抱くことは全くありません。ただただ文字を追い、小説の世界をそのまま頭に写し取るような読み方をしています。文豪の書いた偉大な小説に、私のような人間が感想を持つという、そんなおこがましいことなどできないからです。その結果、小説を読み終えた直後の私は、すっかり小説の主人公になっているのです。

中学、高校時代、「小説を読むときは、登場人物になりきって読みなさい」と教師に言われた人は少なくないと思います。しかし、中学生、高校生で、登場人物になりきれる人は少ないと思われます。人生の経験が少ないためでもありますが、若いうちは、「オレがオレが」という自我が強すぎて、己を無にすることが難しいのもその大きな理由でしょう。感情移入とは、自分の当て推量で小説を読むことではなく、自分を無にして、小説の世界をそのまま自分の中に引き入れることなのです。

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