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2008年12月28日 (日)

理想の学校

今日は、学校や塾などの教育機関について考えてみましょう。

まず、公立の中学校や高校はダメです。教員諸君のレベルが低いので、生徒諸君が学力を高めることができません。若い人によく言うのですが、学校というのは教師にメシを食わせるために存在するのであって、生徒のための機関ではないのです。では、どうして学校がよくならないかと言えば、質の悪い教員をクビにできないからです。民間企業であれば、消費者に受け入れられない製品を作っている会社は、やがて倒産によって世の中から消えます。毎年毎年、工夫のかけらもない、ただ黒板の前でガ~ガ~しゃべっているだけの授業もどきを垂れ流すような教師は世の中から消えるべきですが、これがうまいこと定年まで勤務して年金をいただくわけです。公立学校に必要なものは、まず生徒・保護者・管理職による「評価」であり、評価の悪い者は給料を減らしたりクビにしていかなければなりません。そして、優れた人材を入れていかなければなりません。競争原理が必要なのです。

しかし、教育の場合は、競争原理100%では弊害が生じます。ここが難しいところです。民間の塾や予備校は、競争原理が働きますから、公立の学校よりも教え方のうまい教師がいる確率が高いといえます。しかし、金儲け第一主義のところは、生徒の学力を伸ばすことよりも、生徒を集めることに奔走します。その結果、「生徒にじっくり考えさせるよりも、すぐに答がわかるような教え方」をし、「生徒の誤った考え方を叱るのではなく、生徒の考えにあわせる」ようになります。生徒に厳しいことを言うよりも、彼らに迎合したほうが生徒が集まりますし、人間の世界は子供から年寄りまで、80~90%はバカなので、バカに合わせた指導をするうちに、全体のレベルが下がってしまいます。

私の考える理想の教育機関とは次のようなものです。 莫大な資産を持ち、若者の教育をよくしたいという強い気持ちを持った老人が、私財を投じて塾を作ります。塾の運営資金、講師への給料は全て、この資産を元にした基金でまかなわれますので、この塾は営利を目的とする必要がありません。そして、教員は、この老人が「眼力」で選びます。生徒からの評価が悪い者をクビにするのは言うまでもありません。

競争原理が機能しつつも、生徒の学力向上を願い、営利目的第一ではないところ、それが理想の教育機関です。

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2008年12月23日 (火)

悩むのは時間の浪費 (若い人たちへ2)

大人が若い人にするアドバイス(のようなもの)の中には、有害無益なものが多々ありますが、中でも最も有害といえるのが、悩むことのすすめです。「みんな、若い頃は大いに悩んだものだ。みんな、悩んで大きくなったんだ」というセリフを、皆さんもどこかで聞いたことがあるでしょう。

結論から言えば、悩むことに何の利益もありません。悩んでいる間、物事は一歩も進まないのですから、自分自身に対しても、社会に対しても、役立つことは全くありません。悩む暇があったら、解決のための方法を一生懸命に考えることです。また、悩むのは頭が悪い証拠ですから、ふだんから数学や外国語の勉強などをしっかりやって、頭の性能を向上させる努力をしておかなければなりません。

また、人はなぜ悩むのか、その根本原因は、「暇」だからです。(笑)暇人はよく悩みます。それは、暇だからです。一生懸命に取組まなければならない仕事や勉強がある人が、それに真剣に取組んでいるとき、「どうしようかな~」と悩むでしょうか?悩むのことが多い人は、仕事や勉強に集中して取組んでいないのです。自分のやるべきことに没頭すれば、悩みは全くなくなります。

このように、悩むことは時間の浪費でしかありません。では、無責任に「悩むこと」をすすめる大人がいるのはどうしてでしょうか?それは、彼らのレベルが低いからです。レベルの低い大人は、前途有望な若者を見ると、心の奥底で嫉妬します。そして、いかにも若者を理解しているようなふりをしながら、若者の成長を阻害するような発言をするのです。前途のある若い人たちは、こうした大人のアドバイスめいたものには、とりあえず聞いたふりをし、心の中で無視しましょう。自分の周りにいる大人が、全て自分の成長を喜んでくれると思ってはいけません。

最近、「悩む力」とかいう本を出した大学教授がいるようですが、こんな本、読んではいけません。人生アドバイス本の類は、著者の金儲け以外の意味を持ちません。皆さんに考えて欲しいのは、この「悩む力」という本が、100年後も読みつがれているかどうかということです。真に読む価値のある本とは、時代を越えて読まれる本、すなわち古典です。「悩む力」なんぞを読む暇があったら、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読みましょう。ついでに、勝間和代の本などを読んでやる気が出た~なんて言ってる若いサラリーマンもいけません。そんなやる気など、読んだ翌日には消えているでしょう。人生アドバイス本など読んではいけません。時間の無駄ですよ。

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英語の授業を英語で行う方針について

ニュースによると、高校の新学習指導要領案に、高校の英語の授業をできるだけ英語で行うのが望ましいと書いてあるそうですね。これは大変素晴らしいことです。こういうときに、「できませ~ん!」と叫ぶのは、だいたい無能教師なので、この文部科学省の方針に対してどんな奴が文句を言ったかを記録しておき、後でクビにすればいいのです。とはいえ、公務員諸君のクビは切れませんよね~。派遣社員諸君が簡単にクビ切りにあうご時世に、公務員の教員諸君は、ハハ呑気だね~と、わが世の春を謳歌しておられます。生徒相手に痴漢行為でもすれば別ですが、年がら年中工夫のかけらもないくだらん授業もどきを、それも長年垂流して、若い生徒諸君の知的向上の機会をおおいに奪っておきながら、なんのお咎めもないのですから。

英語教員諸君に対しては、毎年、客観的な英語の試験を受けさせ、点数が伸びない者はクビにするようにすればよいのです。試験については、TOEICでもいいでしょう。そういう提案をすると、これまた必ず、「試験の出来と、授業の技術は別物であって、試験で教員のよしあしを判断することはできない」とかなんとかかんとか、グダグダ文句を言う教員が出てくると思いますが、これも誰が文句を言ったかを記録しておき、後でクビにすればいいのです。これは個々人の能力の問題というより、向上心の有無の問題なのです。自分自身が勉強をろくにしないのに、どうして生徒さんに「もっと勉強しろ!」と言えるのでしょうか?そのあまりの厚かましさに吐き気がしますね。

人にものを教える職業の人は、いつも勉強をしなければなりません。というか、優れた教員の人はいつもそうしているでしょう。既得権益にしがみついた無能教員を辞めさせることが、教育改革に最も必要なことです。

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2008年12月21日 (日)

どうして大学に行くのか? (若い人たちへ1)

今日から、「若い人たちへ」というカテゴリーで、いくつか文章を書いてみたいと思います。中学生~高校生、または大学生、若い社会人の方に身近なテーマについて、簡潔にお話します。

第1回の今日は、「どうして大学に行くのか?」というテーマです。

みなさんの中には、なんとなく大学に行くような雰囲気だからといって、自分の将来のことをあまり考えることなく受験勉強をしている人や、すでに大学生になってしまった人がいるでしょう。

この問題を考えるには、「大卒の人」と「高卒の人」の違いを見ればよいのです。

いま、ある会社の社員2人を考えます。Aさんは高卒で入社、Bさんは大卒で入社し、年齢は同じで、仕事の能力もほぼ同じとしましょう。この二人の違いはどこに現れるでしょうか? それは、いまやっている仕事を、より上の次元から考えられるかどうかという点に現れます。高卒のAさんは、目の前の仕事を一生懸命にやりますが、「その仕事は実は必要ないのではないか?」という発想が浮かびません。与えられたことを疑いもせずやるだけです。これに対して、大卒のBさんは、「もしかするとこの仕事は必要のないもので、他にやるべきことがあるのではないか」と考えることができます。

この差は、大学4年間に、仕事と直接関係のない勉強をしたことによって生まれるものです。人から言われたことをやるだけの仕事に満足できないと思う人は、大学に行くべきです。

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2008年12月13日 (土)

日教組の思い出

しばらく前の話になりますが、中山国土交通大臣が、「大分は日教組が強いからだめだ」という趣旨の発言をして辞任に追い込まれるという事件がありました。大分は、阪神淡路大震災のときに、対策本部を作るのが、スーパーのダイエーよりも遅かった村山富市大先生のご出身地で昔から社会党や日教組が盛んなところで、大分県の教育の評判は昔から悪いものでした。予備校の生徒を観察した中では、大分県出身者には「できもしないのに自分はできると思っている妄想癖」を持つ生徒が目立ちますね。

私が小学校5年生のときの話です。担任の教師(女性、年齢30歳頃)が、「先生は、明日は授業に出れませんので、ずっと自習をしてください」と言って、自習になったことがあります。私は、何かの病気か家庭の事情のようなもので学校を休むのだろうと思っていました。ところが、翌日の午後、この教師は他の教師数名と教室に少しだけ姿を見せたのです。上着には、黄色のバッジのようなものをつけていて、そこに「労働者の権利を守ろう!」といったようなスローガンが書かれていました。日教組の組合員たちによるストライキだったのですね。

翌日からこの教師はふつうに授業を再開しましたが、病気でもないのに授業をしないこの教師にイヤミをかましたれ!と思った私は、図画工作で使う色紙を切り取って、バッジのようなものを作り、それに「労働者の権利を守ろう!」と書いたものを安全ピンで服につけると、「先生、これ見て!」といってこの教師に見せました。教師は、「そんなものは取りなさい」と言いましたが、そのとき、なんとも嫌な顔をしたのを覚えています。

「この教師にとっては、授業が一番大切なものではない」ということを学んだ小5の一日でした。

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2008年12月 6日 (土)

コブクロの新曲

予備校の生徒さんの中に、「論説文」は読めるが「小説文」はわからないという人がおります。これは、新聞記事と同じように小説を読もうとしているのが原因です。新聞記事のように、「○○が~した」と、わかりやすく書いてあればよくわかるのですが、小説は、はっきり書いてなかったり、無駄なことが書いてあったりしてよくわからないと思うのですね。

文章は、情報を効率よく伝えることを目的とした「情報伝達文」と、言葉を使った芸術である「文学」があります。文学は芸術なのですから、画家が様々な色彩や形を使って美を表現しようとするのと同じく、様々な言葉を使って人間の本質を表現するものなのです。芸術では直接的な表現はなされません。人物像をキャンバスに描くときに、カメラで写した写真と全く同じようなものを描く人はいないでしょう。小説は芸術なのですから、直接的な表現をせず、間接的な描写によって表現します。「太郎君は悲しい」と書く代わりに、太郎君の悲しみを表現する方法がいろいろあるでしょう。それを探求するのが芸術なのです。

芸術的文章である文学は、直接的な説明文でないがゆえに、読者に想像の余地を大いに残します。そして読者自身の想像こそが、感動を生むもとなのです。

先日、たまたまテレビをつけていたところ、コブクロという男性2人組が新曲を歌っておりました。(題名は忘れました)しばらく聞いていましたが、いやはや、なんともひどい代物で、こんなものを宣伝によって買わされる人がかわいそうになりました。

どこがひどいかというと、歌詞が全部、上でいう「情報伝達文」なのです。歌の主人公が、ああした、こうした、こう思ったというのを、全て書いているのです。小学生の夏休み絵日記のような歌詞なのです。これでは、聞き手が想像をふくらませることができません。こんな駄文を、いくら自分が作った歌とはいえ、人前で歌わなければならないコブクロのお二人に同情いたします。何人をもってしても、この詞を感動的に歌うことは無理なのですから。新聞の火災や交通事故の記事にメロディーをつけても、人を感動させることはできないのと同じです。芸能人というのは、つくづく因果な商売ですが、大衆音楽というのは、学校が教師の生計のためにあるのと同じく、音楽業界の利益のためにあるのですからしかたないですね。

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オバマ次期大統領について話す2人の女

オバマ次期大統領について話している女性Aさん、Bさんの会話です。

A:オバマさんは黒人だから暗殺されるかもしれないわね~。

B:そうね~、でも、そうなったら、奥さんと子供にたくさんお金が出るわよね~。

A:それなら、いいか~。(笑)

世の男性方が、ゾゾゾーと背筋を凍らせるような会話ですが、これは女の本性でもあるのです。旦那が死んだときに、保険金もない、その他のカネも出ない...というのが最悪なのであり、カネがたくさん出て、自分と子供の生活が安泰であれば、それはそれでいい人生なのです。

勤めている会社の状況が悪化し、無理な残業を続けている旦那さんが、「この会社辞めたい」と言ったときに、「あなた、無責任なこと言わないでよ。私と子供たちの生活はどうなるのよ!」とヒステリックに叫び、ついには旦那が過労死したり自殺したりする悲しい事件が起きるのも、女の本性のせいです。

若い女性の皆さんは、男性と付き合うときには、こういう本性はぜひ隠しておいてくださいね。いずれバレることですが、付き合いはじめの時くらい、男に夢を少し持たせてあげてください。

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2008年12月 4日 (木)

渡辺監督の手腕

 
8月の末の更新から、3か月ほったらかしにしておりました。この間に、自分の勉強をたくさんしました。やはり、人様に教えるよりも、自分が勉強するほうがずっと楽しいですね。それはさておき、これから来年の春に向けて、少しずつ更新していこうと思います。

今年のプロ野球日本シリーズは、埼玉西武ライオンズが優勝し、就任1年目の渡辺久信監督の手腕が高く評価されています。選手のミスを責めるのではなく、伸び伸びと育てる方法で、昨年5位だったチームを甦らせたのです。怒られると萎縮しがちな若者を導くのに、これは確かに優れた方法です。ただ、昨年までの伊東監督との対比効果も見逃せません。ガミガミ叱る伊東監督の後に、怒らないで選手に任せる渡辺監督がくれば、誰だって猛烈なやる気を出すに決まっていますね。

しかし、私はここで予想しますが、来年の順位はおそらく3位か4位で、優勝はできないでしょう。理由は、来年はおそらく慢心するからです。若い人は、うまく調子に乗せるとバーっと突き進みますが、その結果、「これならいつだって優勝できる」と自分の実力を過信しがちです。今年は、渡辺監督のありがたさが身にしみた1年だったと思いますが、来年になるとそうした環境が当たり前になり、監督のために頑張るんだという気持ちも薄れるでしょう。

若い人は、叱ると萎縮し、ほめると調子に乗るというとんでもない存在であるといえます。

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